プロフィール

代表者 プロフィール

社長写真

代表取締役 中西 政文

福岡県出身 福岡県立育徳館(旧小笠原藩藩校)出身
中学・高校 バスケットボール部(主将) 
早稲田大学卒 中国拳法 全日本空手道連盟眞空会
宅地建物取引士 公認不動産コンサルティングマスター 賃貸不動産経営管理士

中村天風財団 認定講師

ツバメの巣研究所 所長

趣味:読書 旅行 武道(実践空手三段)マリンスポーツ(ヨット)

1989(平成元年)学生時に起業

地元社会貢献と慈善活動に携わるべく社会起業家を目指し起業する。

1992年 青年会議所入会

社団法人行橋青年会議所に入会し、一市四町の広域活動を目指すため「名称変更委員会」の委員として地元の歴史を調査。古事記に「美夜古(みやこ)」という文字が使用されていたことを発見し、「美夜古」という名称を提唱しました。その後、日本青年会議所に認定され、(社)美夜古青年会議所へと名称変更が実現しました。

1994年11月 青年会議所活動

青年会議所世界大会in神戸に美夜古青年会議所の実行部隊として参加 地元独特の“角打ち”文化を英語で紹介するオリジナルノベルティー「ふんどし」を企画・開発。三和酒類株式会社様に協賛を依頼し、快くご協力いただいた結果、「いいちこ」ミニボトル数百本を提供いただきました。このオリジナルノベルティーと「いいちこ」ミニボトルは、海外のJCメンバーから大変好評を博し、ブース出展開始後わずか40分で完売するほどの人気を誇りました。また、スコットランドのメンバーには日本の角打ちスタイルを紹介し、彼らも桝でお酒を楽しむ体験を通じて文化交流を深めました。

1995年1月15日 阪神淡路大震災

阪神淡路大震災により神戸が大きな被害を受けた際、いち早く地元JC内で先遣ボランティア隊を提唱し、結成に成功しました。九州ブロック内で最初のJCボランティア先遣部隊として神戸に向かい、ローカル線の始発電車で出発し、13時間立ちっぱなしで現地入りしました。

現地では高速道路の橋脚が目の前で倒れる光景や、12階建てのマンションが3階の高さに崩れ落ちている様子に衝撃を受けました。ボランティア活動中は、わずか2~3時間の睡眠で、砂ぼこりが舞う中、6,000名以上の被災者に支援物資を配布しました。

当時はボランティア活動が盛んではなく、数十名のメンバーで多くの被災者に対応しました。あまりの多忙さに、休憩やトイレに行く時間もほとんどありませんでした。

全国から送られてきた支援物資に同封されている手紙を集めて行政に届け、その中の熱いメッセージや、砂ぼこりまみれの被災者からの「ありがとう!」という言葉に何度も目頭が熱くなりました。これらの体験は、いまだに鮮明な記憶として残っています。

1998年 ベンチャー事業

インターネットの可能性に魅了され、1998年に単身でカリフォルニアへ渡米。現地のネットベンチャーとの交渉を経て、日本でジョイント事業を立ち上げ、その成果が専門誌に取り上げられました。

     

当時、地方ではインターネットに関する情報はほとんどなく、ベンチャーキャピタルや銀行も現在とは異なり、ネットビジネスに対する情報や支援は皆無でした。

米国とは異なり、日本での早期ネット事業の立ち上げは資金繰りが非常に困難で、やむなく撤退を決断しました。当時の月の残業時間は400時間を超え、それを1年以上継続しました。自身でもその忍耐力に感心しています。

   

2002年 25代部会長時代

2002年、日本青年会議所コンサルティング第25代部会長に就任。日本JCの業種別部会長として、メンバーに一生に一度の貴重な経験を提供する事業を計画しました。

当初はディズニーランドの特別会員向けサロンでの例会を予定していましたが、諸事情により開催できませんでした。そこで、USJ本社の会議室を貸し切り、例会と講演勉強会を開催することにしました。先輩諸氏のご協力のもと、盛大に開催することができました。

   

次の例会では、宇宙物理学者でNASA客員研究員の佐治晴夫先生を特別講師として招きました。佐治先生はスティーブン・スピルバーグ監督の映画を監修されており、壮大な宇宙の物語や探査船ボイジャーの打ち上げについての話に感銘を受けました。地球、月、太陽の音を初めて聞かせていただき、その感動は今も忘れられません。

また、ホテルのチャペルを貸し切った講演会では、佐治先生自らがパイプオルガンを演奏し、宇宙探査船ボイジャーにアベマリアの曲を搭載した深い理由について語られました。佐治先生が愛車のポルシェ911カレラ4の中で「ゆらぎ理論」を思いついた話や、ビデオデッキVHS開発とベータとの激しい競争の秘話には驚かされました。NASAが地球外生命体とコンタクトを取った際に応対する日本人という役割について知った時は、その縁に感謝するばかりでした。

さらに、2001年に起こった9.11テロの後、日本における米軍基地の内情を知るために、浦添JCの先輩方の協力のもと嘉手納基地へ入り、将校クラブで家族例会を開催しました。基地内は完全にアメリカであり、ドルが日常的に使われ、法律もアメリカのものでした。

事前にメンバーのパスポートコピーを提出し、専用のバスをチャーターして基地に入りました。イエローラインから一歩も出てはいけないという厳しい注意を受け、それを違反すると容赦なく撃たれるという話に、参加者には冗談でもラインに近づかないように厳重に指示した記憶があります。

世界を知るために世界青年会議所第15回国際アカデミーに参加しました。世界中から集まった次世代のリーダーたちと1週間の研修合宿を行い、南米ボリビアから40時間かけて来日した若きリーダーと同室となり、貴重な経験を積みました。南アフリカの会頭予定者が提起した地域の殺人件数を下げるにはどうすればよいかという深刻な社会問題に対しては、言葉を失うほどの衝撃を受けました。

国際アカデミー卒業式にて
江ノ島湘南海岸にて

青年会議所時代には、日本各地の多くの人々と出会い、大きな刺激を受け、成長する機会をいただきました。また、地域づくりや街づくりのボランティア活動の重要性とその限界を学ぶことができました。

2006年 青年部(YEG)活動

2006年、地元の若手経営者を育成する目的で、商工会議所に青年部(YEG)を立ち上げることとなりました。苅田商工会議所青年部の設立チャーターメンバーとなり、ゼロから組織を立ち上げました。

会長職は通常1年任期ですが、第3代、4代、6代、7代、8代の会長を務め、通算5年間歴任しました。

この期間中、商工会議所会頭である三原会頭の薫陶を受け、学生時代から事業家、篤志家としての生き様を直接伺う貴重な時期を過ごしました。三原会頭からは多くの教えを受け、“不思議なご縁”に感謝しています。

2009年

東九州自動車道早期開通決起大会in宮崎に福岡県代表として参加し、1,000名の聴衆の前で演説を行いました。当時の宮崎県知事である東国原英夫知事からも感謝の言葉をいただきました。

2010年~2012年 第七代会長~直前会長

苅田町で初めて「産業観光」を提唱し、行政との連携を図りました。苅田町観光協会の設立にも尽力し、町内初の観光マップおよびグルメマップを作成しました。

  

自動車産業つながりの町としてトヨタ自動車のお膝元、愛知県豊田市の豊田商工会議所青年部と姉妹提携調印

   

お互いの友好関係は後輩に引き継がれ継続中。
青年部総会では、地元首長や議長、主要企業の工場長・所長を来賓として迎えました。異業種大手7社の工場長・所長が参加する懇親会は大変貴重な経験となりました。青年部会長時代の5年間、皆様を前にしてのご挨拶は大変緊張し、勉強になりました。

   

観光のあり方を学ぶため、日本商工会議所篠原常務やJR東海須田相談役を講師に招いた勉強会を実施しました。

人口3万4千人足らずの地方の町の商工会議所青年部の勉強会に、多忙の中、東京から講師が来ていただけたことは“不思議なご縁”でした。

三原会頭の力添えで、当時全国知事会会長であり、名知事として名高い麻生渡福岡県知事の公邸を訪問し、知事の講話を聴きながらの会食は、青年部メンバーにとって大変貴重な経験となりました。フランスのサルコジ大統領と直接対話した内容についての講評は興味深く、内容はここには書けませんが、これもまた“不思議なご縁”に感謝しています。

このような経験は、福岡県内の全ての青年会議所および商工会議所青年部、商工会青年部を見渡しても、苅田商工会議所青年部だけであったと思います。

   

町の将来を考え、観光業の重要性を提唱

企業城下町である地元の特性を活かし、産業観光のあり方を調査研究しました。調査の過程で、日産自動車の起源が北九州市戸畑区であることを判明し、創業者鮎川義介氏の手書きの手帳が保管されている貴重な資料館を町内で発見しました。その手帳からは、鮎川氏の几帳面さと学ぼうとする意欲の力強さが伝わってきました。明治から昭和にかけての日本のものづくりの素晴らしさを実感しました。

資料館の骨組みの鉄骨はアメリカのカーネギー社製で、その名前が書かれている柱が現存しています。当時の日本では強度のある鉄骨が作れず、アメリカから輸入したことを知り、大変驚きました。

2010年

餅つき大会写真

奄美大島豪雨被害

12月に支援チャリティー基金活動として餅つき大会を開催しました。福岡銀行、西日本シティ銀行、北九州銀行、福岡ひびき信用金庫の皆様も日曜日にもかかわらず、大勢の方々が参加してサポートしていただきました。集まった義援金は奄美大島商工会議所青年部へ寄贈しました。

2011年 東日本大震災

2012年 花火大会

苅田みなと祭り大会実行委員長に就任し、実働部隊として初めて活動しました。広域産業道路の整備開通で開催が困難とされた港まつりを、メンバーの力と助けを借りて奇跡的に復活させました。食の祭典を開催し、東日本大震災の震災孤児支援チャリティー募金を開始しました。ゲストとして彦摩呂さんを招き、一緒に募金活動を行いました。

   

日本経済新聞社様の協力により、“「記憶」2011.3.11 PM2:46 忘れてはいけないこと”の写真データの無償提供を受け、東日本大震災「記憶」の大写真パネル展を開催しました。

翌年、広域産業道路の交通量増大により、花火大会の開催が困難とされましたが、様々な困難を乗り越え、メンバーの力と助けを借りて再び実現させました。

  

花火大会では“がんばろう日本!”のスローガンのもと、地方初の大型1尺玉(10号)60連発打ち上げを実施し、町内外で大きな話題となりました。町内人口(3万4千人)の半分近くに相当する観客を動員し、周辺の観客も含めると3万人以上が訪れました。

震災孤児支援チャリティー募金は、東北あしなが育英会へ全額寄付しました。

2015年 天然アナツバメの巣との不思議なご縁。

私の人生において、インドネシアのカリマンタン島との出会いは全く予想外のものでした。この広大な島は、総面積615,326㎢と日本列島の総面積378,000㎢よりも大きく、オランウータンの生息地としても有名です。カリマンタン島でアナツバメの巣を取り扱う華僑グループ、トーマス家との出会いはまさにドラマのような驚きの連続でした。

トーマス家のビジネスは、高級コーヒーのルコピアコーヒー農園の経営を始めとして、パームヤシ油、両替商、アナツバメの巣と多岐にわたります。厚生労働省福岡検疫所食品監視課への相談を経て、日本への輸入のためには現地調査が必要となりました。

私は赤道直下(北緯0度)に降り立ち、秘密のベールに包まれたアナツバメの巣の営巣地へと向かいました。その場所は武装した軍がパトロールを行い、部外者は絶対に立ち入ることができない厳重なエリアでした。そこで、産地から日本へ直送できる初めてのルートを構築しました。

北緯0度北緯0度
トーマス家専用ヴィラトーマス家専用ヴィラ

60時間と12個の鍵と4mの落とし穴の危険をくぐり抜け、たどり着いたアナツバメの巣。

日本人には馴染みの薄いツバメの巣をどのように提供するか、多くの悩みと試行錯誤を経て、4年半を費やし、ナチュラルオーガニック美のプロティン・ツバメの巣濃縮エキス入りスティックゼリーを開発しました。ツバメの巣の効能効果を損なわずに提供するこの製品は、多くの困難を乗り越えて実現したものです。

さらに、HESTIAPブランドのロゴは、DiorやHERMESなどのデザインを手掛ける若手フランスのデザイナーによって作成されました。このデザイナーとの出会いもまた、不思議なご縁に導かれたものでした。

2015年 秋 都市伝説と秘密のベール

2015年秋、東京ビッグサイトで開催された食品開発展に天然アナツバメの巣を日本で初めて出品しました。

しかし、日本の方々の天然アナツバメの巣に対する認知度の低さに驚かされました。多くの人々がアナツバメの巣について話に聞いたことはある。しかし、見たことも食べたことも無い。そして、巣の存在は知っていても、その情報は作り話や先入観に基づいており、正しい情報が全く伝わっていないことに愕然としました。

専門紙である「健康産業新聞」の記者ですら、天然アナツバメの情報を都市伝説の域を超えていないと思われました。そこで、私は記者に正しい情報を提供し、天然アナツバメの巣に関する正しい情報を伝える事でアナツバメの巣に関する記事に協力しました。

このままでは、天然アナツバメの巣に関する誤った情報が都市伝説のように語られ続けることを危惧し、ツバメの巣研究所を立ち上げました。

海外の論文を探しまわり、正しい情報発信を行ってきました。ところが一時期、こちらの情報が無断で転用されていることが疑われるサイト記事が判明し、情報発信を中止しました。

その後、天然アナツバメの巣の正しい情報が広まることが日本の皆さんの役に立つと考え、情報発信を再開しました。日本で最も天然アナツバメの巣の現地調査を行ったという自負を持って、この貴重な自然の恵みについて正確な知識を今後も提供して行きたいと思います。

現在

苅田商工会議所常議員 苅田町社会福祉協議会評議員 苅田ライオンズクラブ会員 行橋経済同友会会員

ATHENA(アシーナ)株式会社
福岡県京都郡苅田町京町1-11-1 アシーナ京町ビル2F
TEL 093-435-0037   FAX 093-434-0281

会社事業

  • 不動産事業
  • ギフト事業
  • 食用アナツバメの巣事業
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