さて、翌日は、インドネシア恒例の朝4時からのコーランで叩き起こされます。朝6時にはチェックアウトして出発なので目覚ましにはうってつけです。帰りは新たな運転手が運転し、延々とウィンカーを出しっぱなしで、一般道路を80㎞近くのスピードでポンティアック市を目指します。
もちろん道中の撮影は不可です。途中軽く休憩し、ポンティアック市へ先を急ぎます。なぜなら、ポンティアック空港でのフライトが14時であり、私たちは夜10時の便でシンガポールを出発しなければならないからです。
ポンティアック市内につくと、私たちはいきなり地元のデパートに降ろされました。ここで、1時間ほど待ってほしいとの事です。運転手と何やら話をし、トーマス氏は車で出かけてしまいました。私たちはカリマンタン島のポンティアック市のデパートを予定外に見学する事ができました。しかし1時間経過してもトーマス氏は現れません。既にフライトまで1時間を切っています。運転手も時計を見て少々焦っています。15分ほどするとようやくトーマス氏が現れて、さっそく車に乗り込み空港へ向かいます。
途中スコールに見舞われ凄い雨。空港への道中に、運転手とトーマス氏の会話が少しエスカレートして何やら口論ぽくなっていたので、インドネシア語が分からなくてもフライトに間に合うかどうかで話をしているのは、状況からして端から見てもわかります。トーマス氏に私がフライト時間大丈夫か?ときくと、またもやノープロブレムの返答です。そして、おもむろに携帯で電話を始めました。
運転手は100㎞近い速度で空港に向かっています。電話が終わるとトーマス氏は私たちに、どこに行っていたかを話し始めました。私たちをデパートに降ろした後、彼は一人でポンティアック市警察の署長に面会に行き、友人のトラブルについて相談していたそうです。そして、問題は解決したようです。何の問題解決??? 疑問がわきます。
ようやく空港に到着です。出発時刻25分前です。日本だともう大慌てで空港カウンターに猛烈ダッシュ。ところが、空港に着くと、拳銃を腰に下げた長身の警察官が一人待っているのです。私たちは車が到着するや否や、トランクを開けてスーツケースを取出して空港内に入ろうとすると、その警察官が私たちのスーツケースを運び始めたのです。えっ?
警官がポーター?頭が混乱です。 トーマス氏にえっ?という顔で見ると、またもや彼はノープロブレムと笑顔で返答。飛行機は20分近く遅れるから大丈夫だということです。何とこの警察官は、空港警察の署長です。 この署長さんが私達のスーツケースをチェックインカウンターまで運ぶのです。 もう私と先輩は唖然。
チェックインを済ませ、荷物をチェックインカウンターに預けた後、空港ラウンジへ案内されました。ラウンジは軽食や飲み物はフリーです。小腹が空いたのでサンドイッチと飲み物を飲んでいると、キャプテン(パイロット)とファーストオフィサー(副操縦士)とCAの一団がラウンジに入って来ました。
普通パイロットやCAがラウンジに入ってくる?日本ではありえません。そして、談笑しながら軽食と飲み物を取り始めたのです。するとトーマス氏がいきなりキャプテンに話しかけます。彼らは驚いて私たちを見ます。何と日本から来たと言うだけで、キャプテンとファーストオフィサーと握手です。 ?マークが頭の中を回ります。カリマンタン島では日本人は本当に珍しいのでしょう。ちなみにインドネシアは親日です。
そして、ゆるゆるのセキュリティーゲートを抜けて、飛行機に搭乗しいよいよバタム島へ向けてフライトです。飛行機は満席にちかく、相変わらずの男性と女性の横柄なCAの態度を眺めつつ、1時間ほどでバタム島の空港へ到着。そして、空港より車で港に向かいます。港へ到着後、いよいよインドネシア出国手続きです。17時の高速フェリーに乗船です。もうドアツードアの勢いです。
19時過ぎにシンガポールの港へ到着後入国を済ませると、出口にはマリーナベイサンズのトヨタアルファードが運転手と一緒に我々を待っていました。
そしてスーツケースを車に載せて空港に向かうかと思いきや、空港ではなくマリーナベイサンズへ。
マリーナベイサンズホテルでは入り口玄関ではなく、地下の駐車場へ回りそこで降ろされました。何とそこにはVIP専用のチェックインカウンターがあり、専用エレベーターまであります。そしてトーマス氏が仕事用に使っている部屋まで行くと、彼はシャワーを浴びてはどうかと気遣いをしてくれたのです。このあたりのホスピタリティーはさすがです。
時間は19時半を過ぎているので、好意の申し出を丁重に断り空港へ向かう事にしました。トーマス氏とは堅く握手をし、ホテルで別れました。専用のアルファードでシンガポールチャンギ国際空港へ向かいました。その日は、朝4時にコーランの大音量で目が覚め、6時にチェックアウトしてポンティアック市へ向かい、ポンティアック市から飛行機でバタム島へ到着し、バタム島から高速フェリーでシンガポールへ。そしてようやくシンガポールから香港へ到着。
この時点で私の左耳が変調をきたし、どうも中耳炎になった感じがしました。香港より台北経由して福岡空港へのフライト機内では右耳奥が痛くて、痛くてたまりませんでした。緊張と、疲れと、何度も飛行機を乗り継ぐ気圧の影響で三半規管が影響を受けたようです。帰国後、耳鼻科に車を運転して行く途中、三半規管を痛めたせいか距離感が少し怪しくなり、電柱に左のサイドミラーをぶつけてしまい、サイドミラーがきれいに折りたたんでしまったのには笑いました。耳鼻科で診断の結果、やはり中耳炎で、治療することで痛みは収まりました。
中耳炎の治療を済ませ、インドネシア・カリマンタン島での貴重な写真と調査報告書を作成し、再々度、厚生労働省福岡検疫所食品監視課へT先輩と一緒に訪問。
実際に現地まで出向いての貴重な写真と報告書を見せると、今までとは打って変わった対応に驚きました。おどろくほどスムーズに話が進み、肩透かしを食らったような感じです。
食品監視課で内容を確認の上、後日連絡するという事で、ミーティングは短時間で終了です。あれだけ厳しい条件を、こちらが全てクリアしたからでしょうか?
後日、食品監視課より食品として輸入ということで了承して頂き、輸入は許可制ではないので許可証などはありません。その代わりに、「輸入食品等事前相談記録票」というものを発行して頂きました。48時間かけてインドネシア・カリマンタン島まで実際に現地調査した成果はありました。インドネシア・カリマンタン島産ツバメの巣の「輸入食品等事前相談記録票」は日本初のものです。実際に現地で調査しての感想は、トーマス氏のツバメの巣に対する衛生感覚が日本人と変わらないという事です。実は、このことがスムーズな輸入食品等事前相談記録票につながったと個人的には思います。
その後、タイやマレーシアの営巣(バーズハウス)を調査すると、トーマス家の営巣(バーズハウス)の衛生管理とは、かけ離れた状態だという事が判明しました。
これは実際にタイの現地まで行き営巣(バーズハウス)の調査を行ってきて判明しました。この営巣に行くまでも、かなりハードルの高い内容でした。タイ国政府を通じての折衝を行い、信頼関係を築くまでに2年の時間を要しました。タイの営巣(バーズハウス)はトーマス家の営巣(バーズハウス)の1/3~1/5程度の大きさしかなく、年間の採取量が格段に違います。また、ツバメの種類も違い、巣の大きさもインドネシア・カリマンタン島より小ぶりなのです。そして、糞はそのまま床に溜まっている状態で、匂いもきつく、マスクをしていないと入れない状態です。糞はあえて床に落とすようにしています。その糞を畑の肥料に使用したり、販売したりするためです。
インドネシア及びタイのツバメの営巣(バーズハウス)の現地調査を行ったのは日本では、私とT先輩の二人しかいないはずです。
つづく